ひだまりたんぽぽ

先天性代謝異常症のこどもを守る会

もっちゃん(メチルマロン酸血症)

 

2005年2月、我が家の大切な大切な宝物 もっちゃんは、お星様になりました・・。

もっちゃんは 、笑うことも、大きな声で泣くことも、目が見えることも、首がすわることもない男の子でしたが、たくさんの人々に支えられ、2年9ヶ月という人生をゆっくりゆっくり歩んでくれました。

まだまだ涙が出る毎日ですが、そんなもっちゃんのあゆみを、紹介させていただきます。

              著/母:ゆっきー

 

診断名

メチルマロン酸血症 B12 非反応型

 

 

発症当時~NICU退院まで

 

平成14年5月、予定日より5日遅れたものの、本格的な陣痛が始まって2時間足らずの超スピード安産で我が家の次男・もっちゃんが誕生しました。

体重3438g、泣き声もとっても大きくて、元気いっぱい!

すぐに私のおっぱいに吸い付き、ごくごくと飲み・・・でも、これが、最初で最後の授乳となりました・・・。

 

その後、ミルクの飲みが悪いということで授乳が出来ず、新生児室に顔を見に行ってもいつも眠っていましたが、生後2日目、産院から小児科のある総合病院に転院することになりました。

見送りにいくと、先日までのもっちゃんとはうってかわっていて、ものすごく呼吸が早くて苦しそうで、その姿に、思わず涙を流してしまいました。

一晩中離れ離れになったもっちゃんのがんばりを願っていました。

 

その願いも届かず、容態はだんだん悪化し、生後3日目、今度はNICUのある病院へ救急車で転院することになりました。

著名なアシドーシス、どんどん上がるアンモニア値(1000以上)、痛み・刺激にも反応せず、意識障害、呼吸障害も進行したため、人工呼吸器の装着、交換輸血、腹膜透析などの処置を受け、なんとか一命をとりとめることができました。

その喜びもつかの間、先天性代謝異常症のメチルマロン酸血症という希少難病であること、この数日の高アンモニアなどの影響で、大脳、脳幹が著しく萎縮してしまい、重度の神経的後遺症を残すだろうと主治医からお話があり、大きなショックを受けました。

それでも、保育器の中で懸命にがんばっているもっちゃんに会いに行く度に、一緒に生きていく力と勇気をもらい、また、主治医やNICUのスタッフの皆さんに励ましや在宅ケアのご指導を受け、入院してからちょうど2ヶ月で退院することができました。

待望の退院日は、やっともっちゃんと毎日一緒にいられるといううれしさと、この先の不安とが入り混じって、正直とても複雑な心境でした。

 

 

生後2ヶ月~1歳

 

ドキドキの自宅での生活が始まりました。ミルク(S22、普通ミルクの混合)の注入、鼻チューブの入れ替えには、毎回緊張し、体温調節が人一倍難しくしょっちゅう急に熱が上がり、病院に駆け込みました。そんな中、まだまだ体の緊張は強いものの、NICUの時には、握ったままだった両手が、少しずつ広がるようになったり、小さい声が出せるようになって、本当に感激しました。

なかなか外出できない私たちにとって、友人をはじめ、いつも気にかけてくれる身近な人々の存在が何よりも心強いものでした。

薬は、エルカルチン、フェノバールビタール、テルネリンを処方してもらっていました。

上気道炎や気管支炎などで4回入院しましたが、いずれも一週間足らずでした。

たまたま同室になった知り合いのママの薦めで、生後10ヶ月で身障手帳を申請し、認定され(四肢機能障害1種1級)、この手帳の取得をきっかけに福祉手当や通園施設利用の許可が下りるなど、

より一層もっちゃんの生活が充実したものになっていきました。

そして、念願の1歳の誕生日!それは、感動の涙・涙のバースデーでした・・!!

 

 

1歳~2歳

 

1歳になってすぐ、身障者通園施設の母子通園、県立リハビリセンターでの訓練(PT、ST)に体調の良い時を見て通う事になり、またパソコンを購入、同病のお友達との交流もできるようになって、一気に人の輪がひろがりました。家での生活にもすっかり慣れて、もっちゃんとの時間を楽しめるようになってきました。でも、時々ひどい痙攣が起こるようになり、薬にセルシン、ダイアップ(特にえらそうな時のみ使用)が加わり、それでも、調子が悪くなると、特に下半身の緊張が強くなって、足が曲がらなくなり、とうとう股関節が脱臼してしまいました。入院は6回、記念すべき2歳の誕生日は、調子が悪く、ケーキでお祝いをしてすぐ病院へ直行、アデノウイルスでそのまま入院となりました。

 

 

2歳以降

 

誕生日の入院以降、痙攣が少なくなり、入院しない期間3ヶ月半という自己記録も作り、絶好調!

初めて隣県へ家族旅行にも行くことができました。その反面、ミルクの注入量が嘔吐のためになかなか増やせず、体重が増えていかないのが大きな悩みで、薬にガスモチンが加えられました。嘔吐が続くたびに通院、血液検査の結果次第で点滴入院をして様子を見ていましたが、今まで以上に回復力も早く、前年、家で迎えられなかった年末年始も家族で過ごす事が出来、みんなで大喜びでした。

 

2月に気管支炎、嘔吐で入院、RSウイルスが発覚し、以前、肺炎になったことがあったため、少し入院が長引くかも・・と思ってはいましたが、3日目に急変、何度も踏ん張ったもっちゃんも7日目には力尽きて、家族が見守る中、私の腕の中で、息を引き取りました。NICUを出て、13回目の入院、2歳9ヶ月でした・・。

 

もっちゃんがそこにいるだけで、ほよ~んとした空気に包まれて、ぷくぷくんのほっぺを触ると、心が癒されました。家族一緒に過ごせるということが、どれだけ幸せなことか、自分の思いで体を動かせることが、どれだけありがたいことか、生きていること・命がどれだけ大切なものなのか、がんばるということは気合をいれることではなく、前を向いてゆっくりと進んでいくことなんだ・・・もっちゃんは、今までなんとも思わずに過ごしてきたことに立ち止まって考えさせてくれ、体を張って教えてくれました。もっちゃんのおかげで、新しい出会いがあり、人の温かみにたくさん触れることができました。

ひとつひとつのことを胸に私たちはこれからもマイホームペースで生きていきます。きっと、もっちゃんのあゆみも、2歳9ヶ月で止まることなく、これからもずっと一緒に歩み続けていってくれるものだと思っています。そして・・いつも私たち家族は地上から、もっちゃんはお空から、今、がんばっているみんなのことを応援し、ステキな幸せな時間を過ごす事が出来るようにと願っています☆彡

もっちゃんの似顔絵:(画)もっちゃん兄

手形の絵:(画)もっちゃん

 

Copyright© 2005-2024 HIDAMARITANPOPO All Rights Reserved.

l

l

l

l